「私の」じゃなくて「流れてきたもの」

昔の私はなんでもすぐ「自分のもの」にしたがってた。

感情も、作品も、人の言葉も。「私が描いた」「私が思った」「私の気持ち」って。でも最近、ちょっと変わってきた気がするんよ。

たとえば、絵を描いてても思う。「これは私が描いた」ってより、「なんか出てきたもの」で気がついたら、筆が動いてた。そんな感じの時のほうが、なぜかすっと心に響くものになる。

悲しみとか怒りも、「私の感情!」って思うと、ずっとしんどさが残るのに、「ああ、いま流れてきたエネルギーなんだな〜」って思うと、ちょっと離れて見れる。受け流せる。優しくなれる。

あの人に何か言ってほしいなって思うときも、「私には、まだ誰かの言葉が必要なんだ」じゃなくて、「いま、私の内側に何が湧いてるんだ?」って聞いてみたら、案外、答えは自分の中にあったりする。

そんな風に、これは私のモノじゃなくて、いま通り過ぎてくれたもの。って思ってみたら、ちょっと軽くなるんよね。

自分に湧いてきた感情も、描いた絵も、誰かの言葉も、ぜんぶ「流れのなかで出てきたもの」だと思ったら、なんだか、ありがたいし、自由になれる。

今日もまた、なにかが流れてきて、ただそれを眺めて、すこし味わって、手放す。

そんなふうに生きていきたいなぁ、って思った。

今日のイラスト 梅雨を喜ぶカエル

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